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私はいかにして『薬の神』になったのか

iNote—私はいかにして『薬の神』になったのか

輸入抗がん剤の関税ゼロ政策と、「多くの患者に自己救済の道を与え、人類の災厄の淵から少しずつ抜け出す助けとなった」と注目を集めたルー・ヨン事件を背景に、映画『アイ・アム・ノット・ア・ゴッド・オブ・メディスン(我不是药神)』は一躍大ヒットとなった。

中年の男・程勇(チョン・ヨン)は、父は半身不随、妻とは離婚。父の治療費も子どもの養育費もままならない。インド製ジェネリック「グリニブ」を扱い、慢性骨髄性白血病の患者を助ける一方、自身の暮らしも多少は良くなった。だが、禁制薬の仲介と転売は密輸と偽薬の販売に当たり、発覚すれば十数年の懲役もあり得ることを彼はわかっている。オリジナル薬メーカーの「ノヴァ」(ノバルティスの寓名、「グリニブ」はグリベック/イマチニブに相当)、警察、偽薬売人の張長林からの三重の圧力により、彼はやむなく手を引く。彼の恩恵を受けた中年患者・呂受益、農村出身の反抗的青年・彭浩、白血病の娘をもつ劉思慧、牧師の劉らも、やむなく離れていく。1年後、張のジェネリックもノヴァの正規品も買えなくなった呂受益は、重圧に耐えかねて手首を切って命を絶つ。運命は、小さな成功を収めていた程勇を再びインド製「グリニブ」の仲介へと引き戻す。オリジナルメーカーの締め付けが強まる中、警察は程勇らを逮捕。5年の懲役に直面し、法の裁きを前に程勇は静かに受け入れる。彼は自分の良心は咎めないと信じている。

生老病死は生命の自然な循環だ。だが、病に打ち負かされたい人などいない。誰もが生きる権利を持ち、また生を求めて戦う権利がある。白血病の老人が警官・曹斌に言う。「生きたい」。たった三文字(中国語)だが、誰もの胸に響く。世界はこんなにも美しい。生きたくない者がいるだろうか。映画で最も多いのは食事の場面だ。呂受益と彭浩が弁当を食べ続け、程勇は一人で屋台飯をかき込み、父は患者食を一口ずつ飲み込み、呂の家族と卓を囲み、「薬のチーム」で火鍋をつつく。食は生存の基礎、薬は生存の鍵。食事は止められず、治療も止められない。

現実の波は小さな人々を幾度も波頭に押し上げては、谷底に叩きつける。一粒の錠剤が喉元を締め上げ、命を握る。生命の脆さを嘆く一方で、企業の責任とは何かも省みたい。確かに、どの起業家も苛烈な競争を勝ち抜いて生き残る。新薬のオリジネーターにとって、研究開発—臨床—試験の連なりは巨額のリスクを伴う。合理的な利益がなければ、健全な発展も、より大きな社会課題の解決も望めない。だが、社会的責任は企業規模や強さと厳密に相関するものではない。小さな工場の主にすぎない程勇でさえ、利益の大半を白血病患者のために差し出せた。ノヴァルティスのような世界的製薬大手が、1本3万元で売らなければ立ち行かないのだろうか。屠呦呦によるアルテミシニンの発見を思わずにはいられない。特許を取らなかったのには歴史的事情もあるが、何より社会的責任感があった。化学構造と合成法を公開し、ベトナムや東南アジアに無償で支援した。米メルクも、河川盲目症の流行するアフリカ諸地域にイベルメクチンを無償配布した。企業は稼ぐだけではない。社会的責務を担うべきだ。

ため息で終わらせたくない。社会は不完全だ。個々の努力が運命の手を緩め、皆の努力が貧困と病をなくす。

公開日: 2024年7月8日 · 更新日: 2025年9月11日

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